森 昌子さん
四柱推命

森 昌子

日干支:癸亥 官殺混雑の例題

下記はウィキペディアを参照しています。
★森 昌子(もり まさこ、1958年10月13日)は、2019年4月現在、日本の元アイドル・歌手・女優。本名、森田 昌子(もりた まさこ)。 栃木県宇都宮市出身。前夫は森進一。長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストであるTaka。次男はテレビ東京に勤務するサラリーマン、 三男はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストであるHiroこと森内寛樹。
命式
●●○
○◎○
  
  日柱 月柱 年柱  
  癸亥 壬戌 戊戌 干支
    劫財 正官 天干星
  帝旺 地支星
  比肩 正官 正官 地支変通
 
  • 大運:逆行10年運

  • 天徳:丙・辛

  • 羊刃:丑

  • 空亡:子・丑

  • 納音:大海水

生い立ちと学歴

 父はフタバ食品の元社員で、兼業農家だった。音楽好きで厳しく歌唱を教えられる。小学校4年生のとき東京に引っ越す。人見知りが激しくいじめにあったため、 学校に行くふりをして、実際には行かないことが多かった。宇都宮市立細谷小学校から港区立御田小学校に移り卒業、港中学校(現:三田中学校)から小野学園女子高等学校に進学し、 堀越高等学校に移り卒業した。

芸能界デビュー

・1971年辛亥・偏印・帝旺・比肩 数え14才、 同年10月開始の日本テレビ『スター誕生!』に13歳で出場。初代グランドチャンピオンとなる。 同番組には、昌子本人ではなく、激しい人見知りを克服してほしいと親戚の叔母が内緒で申し込んだもの。オーディション当日は、 「洋服を買ってあげるついでだから」という口実で歌を歌わせた。グランドチャンピオンになった結果、家に色々な芸能プロダクションが来て、昌子を芸能界に勧誘するようになった。 父親は猛反対だったものの、家が貧しかったこと、母親の体が弱かったことから、家計の助けになるであろうと、昌子本人が父を説得して芸能界デビューした。 ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。ホリプロに決めたのは、学業と両立させてくれるからだった。

歌が上手くなった運勢的な理由は

母親が身体が弱い事はどこに出ているのか

・1972年壬子・劫財・建禄・劫財 数え15才 7月1日、徳間音工から『せんせい』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、「あなたのクラスメート」と称された。 その翌年デビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。

・1973年、第24回NHK紅白歌合戦に出演。なお、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのは森であり、当時女性最年少の15歳での出場だった。なお、 現在の女性最年少記録は芦田愛菜の7歳。

・1973年癸丑・比肩・冠帯・偏官 羊刃 数え16才、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。 この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。

・1975年、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年3〜4月に開催された、春の選抜高等学校野球大会(第47回)に 『おかあさん』が入場行進曲に選ばれ、森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演した。

・1977年、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美、岡田奈々、池上季実子らがいる。

演歌歌手へ

・1977年丁巳・偏財・胎・偏財 数え20才、『なみだの桟橋』以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、 『津和野ひとり』『彼岸花』(1978年・昭和53年)など、難易度の高い曲を歌いこなせる実力派へと成長。

・1979年、新宿コマ劇場で史上最年少女座長として『森昌子公演』を行う。

・1981年、第32回NHK紅白歌合戦では『哀しみ本線日本海』で出場9回目、23歳にして初の紅組トリを務める。

・1983年、『越冬つばめ』で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回NHK紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。 このほか、TBSの金曜ドラマ『想い出づくり』などドラマにも出演、女優としても活躍した。

・1984年、NHK『みんなのうた』で、『海へ来て』を歌う。放送期間は、1984年(昭和59年)8月1日 - 9月30日(再放送は5回)。

・1985年、第36回NHK紅白歌合戦で初の紅組司会を、歌手出番では2度目の紅組トリをそれぞれ務める『愛傷歌』の歌唱前から感極まって号泣したため、途中で歌えなくなった。

・1986年丙寅・正財・沐浴・傷官 数え29才、10月1日に森進一と結婚。

▼森進一さんから見た1986年の流年は、正官・胎・正財である。

・1987年から、シングルレコードの新発売がなくなる。
★森昌子さんが数え21才~30才の大運は庚申・印綬・死・印綬である。
行運の印綬・死は、継続中のものに終わりをつげ、新しいステージに上がるか、止めてしまうかの転換期である。

離婚

・2005年乙酉・食神・病・偏印 数え48才 2月、自宅で過呼吸の発作を起こし、意識を失って倒れ緊急入院した。薬物中毒と診断され、 集中治療室にて胃洗浄を受けた。過換気症候群とも呼ばれる一種のパニック障害だった。集中治療室から一般病棟に移って間もなく、夫の進一が医師に退院を要請し、 本人の同意の上で、わずか1日で退院した。このことが様々な憶測を呼び、ワイドショーや週刊誌に不仲説が取り上げられて、後の離婚騒動に発展した。
同年3月、進一と別居。4月19日、離婚を発表。親権を長男が昌子側、次男と三男が進一側で持ち、養育権は3人とも昌子側とすることを進一が提案し、昌子が同意した。 養育費は1人につき13万円として進一が負担した。

芸能界復帰後

・2006年丙戌・正財・衰・正官 数え49才、3月27日、旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表。 4月、幻冬舎から初エッセー集『明日へ』を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵らにより、『おかえり! 昌子 激励の会』が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。 5月、『NHK歌謡コンサート』でテレビに復帰。『哀しみ本線日本海』『越冬つばめ』『父娘草』を涙ながらに熱唱した。以後意欲的にテレビ出演などの活動を行う。 6月7日、古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲『バラ色の未来』をリリース(初登場14位で、初登場としては過去最高の順位。ジャケットタイトルは森大衛揮毫)。 この年の暮れには、同曲で第57回NHK紅白歌合戦に5年ぶりに出場した。元夫・進一との競演が注目されたが、結局順序をずらしての出演となり、 2人が同じステージに出演する場面は一度も無かった。なお、2007年以降、紅白には出場していない。

・2007年丁亥・偏財・帝旺・比肩 数え50才、上期のNHK連続テレビ小説『どんど晴れ』で女優業を本格再開。7月13日には22年ぶりのドラマ主演となる金曜プレステージ 『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』放送。同年9月26日、体調不良を訴え、急性肺炎により急遽入院。同日予定していた熊本のコンサートを始め、同年内のツアーの中止を発表。
★2007年の亥は日支亥と自刑である。また、大運戊と日干癸の火干合、大運午と年支戌の火の支局、大運午と月支戌の火の支局と共に、 大運の午は火、流年丁は火である事から、財星の星が4つとなり、元々ある官星3つの星を足すと7つになたことで財殺を起こした。
・2008年戊子・正官・建禄・劫財 数え51才 2月5日、『NHK歌謡コンサート』で『越冬つばめ』を歌い、芸能活動を再開した。 同年3月31日、ホリプロを退社。4月1日に個人事務所おんがく工房を設立。

・2009年己丑・偏官・冠帯・偏官 数え52才 2月28日個人事務所、おんがく工房より通販による新曲『子供たちの桜』リリース。

・同年2009年5月、子宮筋腫の手術を受ける。
★数え51才~60才の大運は丁巳・偏財・胎・偏財である。これは日柱の癸亥と天戦地冲している凶災派生の年回りとなる事から、いつも注意しなければならない。
同年2009年12月31日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』大晦日年越しSP『絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』の中で、デビュー当時の髪型、衣装で『せんせい』を熱唱した。
このころから更年期障害や貧血、デビュー当時の歌唱力を失った自信喪失などからうつ状態に陥る。

・2010年庚寅・印綬・沐浴・傷官 数え53才 5月17日、子宮頸癌治療のため、子宮を全摘出手術。癌と知って一時的に自殺願望が生まれたことを告白、退院時の記者会見の模様も放送された。

・2011年3月23日、レコード会社をホリデージャパンに移籍。新レーベル、ハートソングレコーズから『洗濯日和』をリリース。

・2012年11月21日 レコード会社をキングレコードに移籍し「人生に乾杯」を発売

・2016年7月1日 デビュー45周年を迎えた、同日、記念シングル「百年の恋歌」 アルバム「百年の恋歌~時を終えて』を発売。 当日は自身初のクラブでの記念ライブショーが東京丸の内の「コットンclub」で開催された。

・2019年己亥・偏官・帝旺・比肩 数え62才 3月25日、年内限りでの芸能界引退を所属事務所が発表。
官殺混雑の有名人
・山口 百恵 1959年1月17日 8時生 劫財・偏官・劫財

・野口 五郎 1956年2月23日生    偏官・比肩

・西城 秀樹 1955年4月13日生    敗財・偏官  2018年5月死亡

・森 進一  1947年11月18日 22時生 偏官・比肩・偏印

・髙田 明  1948年11月3日生   偏官・比肩  実業家

・大坂なおみ 1997年10月16日生  偏官・劫財  テニスプレーヤー

・木嶋 真優 1986年12月13日生  正官・劫財  ヴァイオリニスト